プノンペン観光2【ポルポト虐殺博物館S21・キリングフィールド】カンボジア

プノンペン観光2【ポルポト虐殺博物館S21・キリングフィールド】カンボジア

今回のブログは、カンボジアの悲しい歴史についてのダークツーリズム”ポルポト・トゥールスレン虐殺博物館(S21)・キリングフィールド(チュンエク)“についての旅行記。

※今回は少し衝撃的な画像が含まれるので、閲覧注意かもしれません。そして、最後にムカデの写真があります。


2014年5月15-20日(←これがトゥールスレン虐殺博物館とキリングフィールドへ行った日)

 

トゥールスレン虐殺博物館 (S21)

1975年クメール・ルージュは首都プノンペンを占領。

革命に学問は不要と言う方針を打ち出し、知識人、医者、職人、教師などは共産主義の邪魔になるとして、また、政府に反対する人々を「反革命分子」とし、ことごとく捕らえ、このS21(トゥールスレン・政治犯収容所)には2年9ヶ月の間には14,000~20,000人が収容されたと言われています。

トゥールスレン虐殺博物館 (S21)

メガネをかけているだけで捕らえられたとも言われています。

クメール・ルージュの兵士のほとんどが子供で、ついには子供医師まで存在していたそう。

トゥールスレン虐殺博物館 (S21)
1976年、もともと学校だった施設を”政治犯収容所 (S21)”に転用したそうです。

 

トゥールスレン虐殺博物館 (S21)

私が到着してすぐに雨が降り出し、重々しい雰囲気が一層増しました。

 

トゥールスレン虐殺博物館 (S21)

ここでは上から逆さまに吊るされた人達が、肥料に使う汚い水(おそらく糞尿でしょうか)の入った壺に顔を入れられて拷問されたそう。恐ろしすぎます。

トゥールスレン虐殺博物館 (S21)
トゥールスレン虐殺博物館 (S21)

ここではベッドに縛り付けられ、道具を使って拷問をうけたようです。床に残るシミは血痕なのでしょうか。

このような部屋はいくつかあり、実際に亡くなられた方の写真が貼られている場所もありましたが、気の毒すぎて写真におさめることはできませんでした。

トゥールスレン虐殺博物館 (S21)トゥールスレン虐殺博物館 (S21)

小さな牢屋もたくさんあります。。

 

トゥールスレン虐殺博物館 (S21)トゥールスレン虐殺博物館 (S21)
亡くなった方々の骨の写真です。こんなことが40年程前に起きたなんて、とても信じられません。

 

プノンペン観光2【ポルポト虐殺博物館S21・キリングフィールド】カンボジア

穴があいた、実物の頭蓋骨。

何も罪のないたくさんの人達が拷問を受けて亡くなりました。

 

トゥールスレン虐殺博物館 (S21)

収容された人たちは残忍な拷問をくり返されたあげく処刑され、そのうち生還できたのはなんと8人のみ!!(これまでは7人とされていたが、別の刑務所に移送されたため生き残った女性1人が名乗り出たそう。)

 

トゥールスレン虐殺博物館(S21)には、拷問の様子を表した絵や、亡くなった方の写真など多数展示されていました。

目をそらしたくなるような物ばかりで、写真撮影は控えました。

地図・アクセス

私は歩いて行きましたが、プノンペンの中心地からは結構遠いです。
歩道がしっかりしていない場所もあったので、無理をせずにトゥクトゥクを利用したほうが良いかもしれません。

ポルポト

こやつがクメール・ルージュの精神的指導者ポル・ポト(サロット・サル)。この写真にはkillerと落書きがされていました。見るからに悪い顔をしていますね。
カンボジア・ポルポト・トゥールスレン虐殺博物館 (S21)

くそポルポトの名言でもなんでもない”胸糞悪い戯言”があります。

「たとえ親であっても社会の毒と思えば微笑んで殺せ」

「腐ったリンゴは、箱ごと捨てなくてはならない」

完全に狂ってますよね。

 

ポルポトの最後

くそポルポトは最後どうなったのか、、?

1998年にポルポトは心臓発作で死んだとされています。しかし、毒殺もしくは自殺の可能性もあるとも言われているそう。

 

ポルポトの墓

もともと墓は用意されなかったそうですが、後に作られたんだとか。
結構ショボい墓です。

画像はウィキペディアに載っています。

ポル・ポト – Wikipedia

 

ポルポトの娘

ポルポトには子供がいます。
その娘は2014年に結婚したそうで、”The Diplomat”というサイトに写真が掲載されています。

 


キリングフィールド(チュンエク)

カンボジアのキリングフィールド(チュンエク)

キリングフィールドポルポト政権下のカンボジアで大量虐殺が行われた刑場跡の俗称です。
ここにはトゥールスレン以外の収容施設からも犠牲者が送り込まれました。

 

カンボジアのキリングフィールド(チュンエク)カンボジアのキリングフィールド(チュンエク)

日本語で聞くことのできる音声ガイドを利用して、番号に従って進みます。

 

カンボジアのキリングフィールド(チュンエク)

音声ガイドの説明がなければ、一見何もなかった場所かの様に見えてしまいます。

 

カンボジアのキリングフィールド(チュンエク)

この場所には、大音量の音楽が流れるスピーカー設置され、犠牲者の悲鳴などをかき消していたそう。外からはここで大虐殺が行われていることがわからないようにカモフラージュしていたんですね。

 

カンボジアのキリングフィールド(チュンエク)

この写真の木は、鋭くなっている部分を使い、人の喉を切るのに使っていたとのこと。

 

カンボジアのキリングフィールド(チュンエク)

こちらには人が埋められていました。

 

カンボジアのキリングフィールド(チュンエク)

今でも地中に埋まった骨や衣服が雨などによって表面にでてくるそう。

 

カンボジアのキリングフィールド(チュンエク)

キリングツリーと名付けられたこの木にはたくさんのミサンガが付けらています。
幼い赤ちゃんや子供はこの木に叩きつけられて殺されたそうです。

 

オーディオから流れる解説はとてもおぞましい内容で、現実に起きたこととは信じられませんでした。あまりにも内容が酷すぎて、ブログに全ての内容を書くことは控えようと思います。

 

カンボジアのキリングフィールド(チュンエク)

こちらは犠牲者の頭蓋骨や骨が保管されている慰霊塔で、中に入り見学することができます。そこには虐殺に使われた斧やナタなども保管されています。

 

地図・アクセス

カンボジアのキリングフィールド(チュンエク)

キリングフィールドは郊外にあるので、トゥクトゥクで行きましょう。
砂埃がすごいので、マスクか口元の覆えるハンカチなどを持っていくのがオススメ。

 


ポルポトに関係する映画

映画「キリング・フィールド (The Killing Fields)」

『キリング・フィールド』(The Killing Fields)は、1984年制作の英国映画。ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグ(Sydney Schanberg)の体験に基づく実話を映画化したもの。1984年のアカデミー賞において、助演男優賞・編集賞・撮影賞の3部門受賞。

出典:キリング・フィールド (映画) – Wikipedia

DVD

 

映画「消えた画 クメール・ルージュの真実(L’Image manquante)」

『消えた画 クメール・ルージュの真実』は、リティ・パニュ監督による2013年のカンボジア・フランスのクメール・ルージュに関するドキュメンタリー映画である。

第86回アカデミー賞外国語映画賞にはカンボジア代表作として出品され、ノミネートに至った。映画の大半はニュースとドキュメンタリー映像であり、残りはポル・ポトにより掌握されるカンボジアが土人形を使って描かれる。

出典:消えた画 クメール・ルージュの真実 – Wikipedia

DVD

 


 

クメール・ルージュによる強制労働や組織的な虐殺などによってで、国民の1/4とも言われる人々を死に追いやりました

カンボジアのキリングフィールド(チュンエク)

今回は暗い内容となってしまいましたが、これは過去に実際に起きたことなのです。

プノンペンに来た際には、是非トゥールスレン虐殺博物館(S21)キリングフィールド(チュンエク)へ立ち寄ってみてください。